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石川県野々市町 
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歴史・史跡

更新日: 2009年2月10日
連絡先
広報情報課 広報広聴担当電話番号: 076-227-6056 kouhou_jouhou@town.nonoichi.lg.jp

この町の歴史の特徴は、今も人々の「生活」の中に息づいているということです。あるものは人々の集う公園となっていたり、さらにまたあるものは今も住居として使われていたり・・・。さりげなく町の中に溶け込み人々に親しまれる、歴史的遺産の数々。野々市の歴史はあくまで自然体を保っています。

御経塚遺跡

おきょうづかいせき

白山から豊かな涌き水が、古代から人をはぐくんできました。先人たちの夢やぬくもりが今日も生き続けています。
野々市町の北部、御経塚町(おきょうづかまち)にある国指定史跡 御経塚遺跡は縄文時代の後期中ごろから晩期、今から3500年から2300年前の大集落です。縄文時代は、12000年前ころに土器の出現とともに始まりました。この時代の縄文人は、四角くエラの張った彫りの深い顔立ちで男性は背丈155センチくらい、寿命は35歳前後だったようです。土器のピアスやネックレスに幾何学紋様の編み布の衣服を身につけるなどかなりオシャレでもありました。
住居は、竪穴式ワンルームで5、6人が住み10戸ぐらいの集落の中央に墓地広場があったようです。当時の食べ物は、主食にクリ・トチ・ドングリなどのパン、副食にシカ・イノシシ・魚介類を食べていたようです。このような縄文時代の人々の生活が1000年以上も続いていた御経塚。遺跡に復元された、竪穴式住居は古代のロマンを今に伝えます。

お問い合わせ先

野々市町文化振興課 
電話番号:(076)227-6122 メールアドレス:bunka@town.nonoichi.lg.jp

ふるさと歴史館

ふるさとれきしかん

平成4年5月に、文化財の展示と整理・収蔵・調査機能を合わせもつ施設として落成しました。展示室には御経塚シンデン遺跡古墳群や末松廃寺など弥生時代から近世まで時代ごとの出土品や模型などを図説パネルで分かりやすく説明しています。
また、縄文の時代の大集落跡の御経塚遺跡が隣接していて、ここから出土した遺物は歴史館横の埋蔵文化財収蔵庫に収められ一部公開展示しています。
過ぎ去った時代、それぞれの季節で人は何を見て、何を聞き何を感じたのでしょう。長き年月を経て、先人たちがはぐくんだ歴史と文化に町の確かな明日が見えます。

お問い合わせ先

野々市町文化振興課
電話番号:(076)227-6122 メールアドレス:bunka@town.nonoichi.lg.jp

喜多家

きたけ


重要文化財、喜多家は加賀の典型的な町屋造りを今に伝えます。いつのころからか、井炉裏ばたに描かれた灰型。北陸の風土に培われた文化と茶の心が静かにいきずいています。
喜多家は現在酒造業を営んでいますが、もとは高崎性を名乗った越前武士で江戸中期以降に野々市で油屋を、その後造り酒屋となりました。屋内二重梁、三重梁などの構造が洗練されています。通りに面した外観は、細い縦格子や二階の妻にみられる腕木に支えられた袖壁など、加賀の町屋の典型的なものであり建物自体も上質で、石川県に遺存する町屋の中では年代も古い貴重なものです。

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野々市町文化振興課 
電話番号:(076)227-6122 メールアドレス:bunka@town.nonoichi.lg.jp

富樫館跡・和鏡

とがしやかたあと・わきょう


富樫氏は鎌倉時代終わりから急速に成長していった武士団で建武2年(1335年)高家が加賀国の守護となってから以後氏春、昌家、泰高、政親など代々にわたって守護となっています。富樫館は富樫代々の居館跡でまた守護所として当時の加賀国の政治経済文化の中心地となったところです。 現在では、館跡を示す石碑のみが当時をしのばせます。平成7年4月からの発掘調査により館跡が確認され、さらに館の堀跡から亀と鳥が描かれ周りを樹木の葉で飾った「和鏡」が、当時のまま完全な形で出土しました。

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野々市町文化振興課
電話番号:(076)227-6122 メールアドレス:bunka@town.nonoichi.lg.jp

水毛生家

みもうけ


北陸道沿いにあり、江戸時代を思い起こさせる旧家で京風数寄屋造りの茶室から屏風絵を思わせる日本庭園です。一面を苔で覆われた庭は、深くあでやかな緑のたたずまいで来客をいざないます。美しい庭内には元和2年(1616年)前田利常が当家で休息した際に馬につないだとされる杉が残っています。残念ながら現在は立ち枯れてしまいましたが今でも当家の誇りとなっています。
また住宅に隣接したところには侘(わび)の茶室・可夕亭があり、物質的な豊かさとケタ違いの贅沢な精神空間を保っています。 この可夕亭は、普段の生活には使われず接客の場だけに利用され、一時の静謐(せいひつ)を楽しむ所となっています。通常は、一般公開されていません。

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野々市町文化振興課
電話番号:(076)227-6122 メールアドレス:bunka@town.nonoichi.lg.jp

末松廃寺

すえまつはいじ

今から1300年前の白鳳時代、町の南西に建てられ、金堂や七重の塔をもつ大きな寺院であったとされています。末松地域にあったことで末松廃寺と名付けられたこの寺は法隆寺五重塔よりも大きな塔の礎石などをもつものですが、今では巨大な礎石だけが当時の隆盛を物語っています。昭和14年、文部省から史跡指定を受けその後の2回の調査で塔と金堂の規模や年代について詳しく分かったのですが南大門や講堂など寺院を構成する施設は依然として謎に包まれています。当時、寺院は権力の象徴であったり、一族の繁栄を願う私的性格の強いものでした。それでは、この国分寺にも匹敵する巨大な寺院を建立した人物はいったいだれだったのでしょう。寺跡の周辺には多くの村の跡があったことや、この地に多い「塚」の伝承が古墳を示すと考えられていることなどから、かなり巨大な権力をもった人物と思われ、この地方一帯を支配した「道の君(みちのきみ)」一族という説も有力です。
昭和36年に全国でも数少ない銀銭の和銅開珎が発見され、昭和46年5月、全国で3番目の史跡公園として整備されました。文化会館(フォルテ)常設展示場には、末松廃寺跡の調査をもとに復元された模型があり当時の壮大な様子をうかがい知ることができます。

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野々市町文化振興課
電話番号:(076)227-6122 メールアドレス:bunka@town.nonoichi.lg.jp

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